愛知県豊川市平井町丈方 2748K4140U
縄文時代の稲崎貝塚から察するに、日色野町村落も縄文時代からの歴史を感じさせる。
日色野(ひしきの)は菱木野天神社から想像できるように菱木野が地名の由来であろう。
また菱形というのは、洞穴の中にある小さな菱形池から、八幡大明神が生まれたという伝承によるという。ちなみに菱形は女陰を暗喩し、犬山市宮山の大県神社の女陰石は菱形であり子孫繁栄のシンボルであるなどする。
さらに菱の実は仙人の長寿の秘訣であったといい、子孫繁栄不老長寿がこめらているのは容易に想像できる。
それも踏まえて、隣接する丈方という地名は方丈とかけているのでは。
ちなみに方丈とは
- 1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事で、「方」には四角形の意味(例:方墳、正方形など)が在り、「丈」の長さをもつ「方」ということ(本項目で記す)。
- 古代中国において、仙人が住む島とされた東方三神山(蓬萊・瀛州)の一つで、神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる。方壷(ほうこ)とも呼ばれる。
さらに方丈と豊穣をかけていて、丈方神社は五穀豊穣を祈り、子孫繁栄不老長寿の菱木天神社と双璧を成しているのでは。
たしかに日色町はほぼ菱形である。
右下の豊川放水路は近代のものであるから考慮しないでいいし。
さらに北の菱形の頂点には山神。
丈方神社の新幹線を挟んだ先には倉狭間という小村落がある。倉の狭間つまり倉は岩がゴロゴロするさまで倉という嘉字を宛てているのであろうか。
実に興味深い
中国語では、集落(村落や都市)名には漢字二字からなる地名が圧倒的に多く、山や川などの自然地形は一字が多い。字数が多い地名はたいてい外国語に由来する地名である。地名専用の字が多いのも中国語の特徴である[* 4]。
日本と朝鮮は中国の影響で漢字二字に地名を改めた歴史を持ち、その後も長く二字表記が暗黙の規制として働いた。日本は713年(和銅6年)に発音はそのままで好ましい字二字で地名を表記するよう一斉に表記を改めた[* 5]。朝鮮は三国時代には漢字の音を借りて地名を表していた(吏読文字と呼ぶ)が、統一新羅の757年に景徳王が中国風の漢字二字の地名に変更した。
日本語の地名は漢字と仮名の2本立てでできているので、両者が乖離したり片方に引き寄せられたりして複雑な様相を呈する。713年の好字二字令のときに発音と乖離した文字を付けられたのが古い例で、これが字に引きずられて読みが変わることもあった[* 6]。この種の変化は誤解から生じることも、意図的に変わった表現をとろうとする趣向から生じることもあり[* 7]、一つの地名で複数の表記や発音が競合することも珍しくない[* 8]。
大和朝廷は日本全国に(といっても当時の権力の及ぶ範囲ですが)、『地名は二字にして、嘉名とせよ』という通達(条例)を出しました。簡単に云えば「地名は二文字で作り、字は良い字・縁起の良さそうな字を当てはめよ」というものでした。
現在の地名も、概ねそのようになっているはずです。これは、それ以前の地名が、あまりいい地名ではなかったとも云えます。
一文字地名を強引に二字の地名にするため、「泉」を「和泉」(嘉字である和を接頭的に付けていずみと読ませる)にし、「木」を「紀伊」、「粟(あわ)」を「安房」、「阿波」にしました。
また例えば、地名に「久保」が入っている地名は多いと思います。長者久保、長久保、西久保、大久保、栃久保、久保沢などです。これは地形地名の典型です。もとの地形が、窪地、窪みだったわけですが、これでは律令のお達しに反してしまうので、「久保」にしたということです。「久しく保つ」決して悪い地名ではありません。苗字にも多く転化した地名です。