大山崎町
23:50
幹線に入って西に向かうと左手に国道を挟んで海のような暗闇が広がっていた。
03:20
戻ってくると潮の香を微かに感じた。
ここは桂川、宇治川、木津川が流れ着き交わり、淀川となり大阪湾を目指す場所。
背後には天王山を控える。ひょっとしたら血の匂いだったのかもしれない。
丘陵地が平野に近く迫り、そのふもとに桂川と宇治川、木津川の合流点が位置するため、山崎は古来から交通の要地であった。明智光秀を豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が破った山崎の戦いは天王山山麓で行われた。この故事から雌雄を決することや勝負の分かれ目のことを「天王山を迎える」(または単に「天王山」)と呼ぶ成句が生まれた。
大阪府の島本町山崎から京都府の大山崎町にかけての山崎の地はまた名水で知られ、日本における製油発祥の地である離宮八幡宮には石清水(いわしみず)の名の元となった湧き水があった。また山崎駅前の妙喜庵には千利休の現存する二例の茶室作例の一つである茶室待庵(国宝)が現存する。