名古屋市中川区露橋 341K010U
1988年日本シリーズで西武の清原はナゴヤ球場左翼へ場外ホームランをかっ飛ばした。ボールは隣接する新幹線高架にぶち当たったという。
「かなり飛ぶんじゃないかと思って。場外に消えていくのも見ました」。他人事のように自らの会心の一発を振り返った21歳の若き大砲。ナゴヤ球場での日本シリーズ第1戦は、日本シリーズ最長不倒といえる特大アーチでまず西武が主導権を握った。
場外弾は果たしてどこまでボールは飛んだのか。ナゴヤ球場左翼席後方の球場敷地内には幅6メートルの通路や自転車置き場などがあり、フェンスを隔てて東海道新幹線の高架があった。清原の打球はこの高架に直撃した。目撃者でこのホームランボールを拾ったのは、岐阜県美濃加茂市の男性(当時51)。【10月22日】1988年(昭63) 日本シリーズ最長!清原和博、18勝投手をヒビらせた場外弾(野球) ― スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球09年10月
ナゴヤ球場と尾頭駅
尾頭橋駅は東海道本線の駅として、ナゴヤ球場正門前駅廃止の翌年に開業した。
尾頭の前身は国鉄民営化後にJR東海が、JR貨物が保有する東海道本線の貨物支線(名古屋港線)に臨時駅として開設したナゴヤ球場正門前駅である
現在の中日ドラゴンズのホームグラウンドは名古屋市東区にあるナゴヤドームだが、ドーム完成の1996年までは名古屋駅 - 金山駅の、東海道本線・中央本線・東海道新幹線・名鉄名古屋本線に隣接する中川区のナゴヤ球場であった。
常設駅昇格を望む住民からの声と、ナゴヤドームへの中日本拠地移転後の競馬ファンを中心とした集客を見込んで、同駅付近の東海道本線(金山 - 名古屋間)に常設駅の設置を決定。これを受け、尾頭駅開業前年の最後の中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツの「10.8決戦」にて同駅は廃止となった。
また国鉄時代の昭和20 - 30年代にも球場近くに仮設ホームを置いて、貨物列車最後部に客車を増結する形で観客輸送を行っていたことがあった。初は1949年(昭和24年)10月の日米親善野球試合の際で、この時は「中日球場前駅」を名乗っていたという。しかしこの時はデーゲームに限られたものであり、更に運行本数も日1往復と微々たる物であったため、同線の貨物列車削減と共にいつしか消滅した。
一方名古屋鉄道(名鉄)では、1944年開業の名古屋本線上にある山王駅を1956年 - 1974年の間「中日球場前駅」、1975年- 2005年の間「ナゴヤ球場前駅」と改称し、試合開催日には特急・急行電車を臨時停車させていた。
まずは名古屋高速丸の内ICから下りたらすぐにUターンし名古屋基地に向かう。
その後ナゴヤ球場横の現場へ。周辺は露橋という地名でいかにも由縁がありそうである。中川運河も近く鉄工など名古屋の鍛冶屋として土地が形成されてきたのでは。
ガテン系住居ビル
現場を確認して近所のラーメン屋へ。
爛々亭 横浜家系
麵の硬さ、スープの味の濃さ、油の加減を確認され全て普通を選択。
だが脂ぎった濃い味の醤油トンコツに中太麵はかなりマッチョな印象を受けた。京都帰りで繊細な和風だしを味わった後なのも影響しているし、名古屋はとにかく濃ゆいのである。
南西の二女子、五女子という風変わりな地名は、中川運河の対岸にも四女子と3か所であるが、かつては一女子から七女子まで村があり、昔ある尾張の豪族に七人の娘がおり、その娘を七つの村にお嫁に出しそこを領地としたことから村の名が変えられたという。
帰路は名古屋高速3号線高辻ICから
4号線尾頭ICもありかもしれない