Judy 真夜中の偵察手

真夜中に仕事で東海道と中山道をうろうろしています。 ちなみにJudyは彗星という意味です。

中山道57番 垂井宿

垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡垂井町

西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。

中山道垂井宿

 

米原シリーズ最終日は垂井宿。

松尾芭蕉の「奥の細道」のゴールになった大垣に隣接し、同様に交通の要衝で古より栄えてきた名残りが色濃く残る。

名神高速の養老から東海環状自動車道ヘ分岐し大垣西を降り、関ケ原から米原に続くR21を西へ進むと垂井の街に出る。大垣から米原にかけては現在でも陸路の要衝であり、鉄道では米原基地、自動車では多くの運送会社の重要な拠点がある。

 

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今回の新幹線の作業区間の、垂井町から西方向の関ケ原へはかなりの上り勾配で、地図を確認してもらえば分かるように、北を走る在来線の西に向かう下り線は、柏原と同様に上り勾配を緩和するためにフタコブ駱駝のように迂回している。上り線はずっと下り勾配なので新幹線と並行するように最短ルートなのが興味深い。

なので新幹線高架を標高の高い西から東へ下っていくと、彼方に濃尾平野の西端に広がる大垣の街の夜景が一望できる。

奥の細道」では敦賀から一気に大垣に飛んでいる。

少なくとも芭蕉は垂井ー大垣の美濃路区間は歩いたはずであるが、垂井宿の記述はない。

江戸時代の紀行記を読むとこんな記述がある。

美濃路や岐阜の山道で出会った農民たちは、襤褸を纏い疥癬を患った赤く荒れた肌であたかも猿のごときであった。

 

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