愛知県蒲郡市三谷町諏訪山 星越トンネル 平坂街道星越峠 287K880D
とても月のきれいな夜だった。
気温2度
新幹線と在来線が絡みつくように並走する区間では、深夜を貫く夜行寝台のサンライズ出雲がとても幻想的に見える。この特殊な線形には理由があって、詳しくは下記リンクにて。
三河大塚(星越トンネル) 2014/5/1: 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに
また新幹線から、在来線を通過する夜行列車サンライズ出雲がとても幻想的に見えるのは、遠くに真っ暗な海と遠くの灯火を抱えているのと、流れて沁みこんで消えた悲しい血が心を震わせているかもしれない。
星越トンネルの西では人生に絶望した郵便局員が、新幹線に飛び込んで跳ねられた挙句に在来線まで飛ばされてさらに轢かれた。
星越トンネルの東では人生に絶望した母子が、新幹線に飛び込んで夜明け前の始発前幹線点検の確認車に発見された。母が50センチ通路にはまり込んで倒れていたという。
同時に飛び込んだとみられている赤子は未だに発見されていない。
星越トンネル、平坂街道星越峠はひょっとしたら、星の声が聞こえる星聲峠という込められた意味があるのかもしれない。天に召された人々の聲が聞こえる峠。
ふと今生に借別の別れを告げた失意の人々のことを思うと、ぞっとするくらい怖くなる場所だ。
通過していくサンライズ出雲の車窓はオレンジ色に染まっているのが、命の灯火のようにも感じられる。
平坂街道(へいさかかいどう)とは、東海道の小坂井(愛知県豊川市小坂井町)から分岐し、ここを起点として、「平坂湊」(同県西尾市平坂町)に至る約40キロメートルの街道である。三河南部海岸地帯を横断し、三河木綿や塩を運ぶ主要な通商路であった。
新幹線が星越峠をトンネルで抜けているのに対して、南を走るバイパスは切り通しを貫けていて、東からは長い直線で一気に登っているのが起点の十能交差点から見える。
ここは連続青春ドラマ「俺たち旅」の一幕を飾った場所で、気の遠くなるような長い坂のに対峙する主演クズ三人組を、遠くのカメラから写していた。
Fランのカースケと、その同級生オメダと、同郷の先輩で早大OB・グズ六が中心に織りなす友情と青春群像を活写し、生きることの意味、悩み、喜びなどについて問いかけていた。彼らの苦悩や煩悩も、遠くから見れば美しい青春の一幕に見えるという一種のメタファーだったのだろう。
星越バイパスの開通が1971年で、1975年スタートのロードムービーでもある「俺たちの旅」のロケ地として、国内観光旅行ブームで沸き立つ蒲郡市の開通間もない星越バイパスが選ばれたのであろう。
とても印象に残っているシーンだった。
ちなみに星越トンネルについて。
東京を起点に287Kの星越トンネルまでは、軌道の両サイドに、東京を背にして右側の上り線側が1m通路で下り側の左が50㎝通路となる。
ところがこれが星越トンネルを抜けると通路の幅が左右入れ替わる。ちなみにトンネル内は中央に通路がある。
理由は不明。
愛知県額田郡幸田町芦谷深田 296K450D
額田郡の山間は額のような棚田を有すところから地名は由来するのだろうか。
「幸田(こうた)」
宝暦7年(1757年)下六栗村から代官所へ届けた文書の中に「井堰6か所江田川通り」とあります。広田川は当時江田川と書き、コウダと発音しましたが後年同音である広田と書かれ、発音はコウダと昔ながらの発音が残りました。
この広田川が流れる村ということで、明治39年に坂崎村、相見村、深溝村が合併した時広田村としました。しかし、明治41年の東海道本線の駅開業に際して、駅名を村名の広田(コウダ)とすることを鉄道省に申請したところ、すでに磐越西線に広田(ヒロタ)駅があり、同字の駅があるということで、同音をとって幸田駅と名づけられました。しかし、駅名と村名が違っていたのでは、社会的に誤解を招きやすいことと、幸田というイメージが当時の村民に好感を持って受け入れられたこともあり、明治41年に幸田(コウダ)村に改められました。なお、コウダからコウタへは、昭和29年8月1日の幸田町と豊坂村が合併したときに改められました。
「芦谷(あしのや)」
康生二年(1456年)造内裏段銭並国役帳に、五百五十五文三河国芦谷郷段銭と書かれています。岩堀・大草に続いて記されているので、幸田町の芦谷のことと思われます。
古老は、「年代は不明であるが、この土地は額田四郎勝正が首長となって土地を開き、その後に寛生のころ碧海郡上野から内藤勝重が移住し、あれた土地を開き耕地を増やし、十六世紀の中頃には、三十二戸、百四十六人の人口でした。その後十七世紀の中頃、六栗との境に堤防を築いて川の中央を境界とし、この川を境川と呼んだ」と伝えられています。
芦は稲科の多年生草本で、この地方では「よし」と呼び、水辺に自生していますが、この芦谷という地名は、水辺の芦原を開いて村落ができた当時の景観から名づけられたのもと思われます。
滋賀県近江八幡市西生来町 太郎防宮「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るかのように、鮮やかに、速やかに勝利を得た」
愛知県蒲郡市竹谷町八ツケ口 293K450D
みかん畑を抜けブッシュへ突入していくようなルート。
グーグルルートがロストしている先は新幹保線専用道と化している。
ABSをカタカタさせながら*1、車幅にオーバーラップするブッシュを掻き分け、教習所のクランクより狭小なクランクを二か所曲がって幹線を潜る。クランク部は橋になっていて失敗すると運が良くて脱輪、運が悪いと落ちるのが教習所との大きな違い。試験に落ちるのとは訳が違う。
何回か来ているから行けるのは分かっている。物理的に幅は確保され、クランクはピンポイントを攻めれば曲がれるのは分かっているから、勢いをつけてダイブしていく。
何かの間違いで後部内輪が脱輪しても、勢いがついていればエアでクリアできる。もたもたしていると脱輪して引きずり込まれる。
ここは誰も運転したがらない場所のひとつ。
だからいつも僕が運転を買って出る。経験を重ねるごとに、やらないもの、とのスキルの差はどんどん開いていく。
勢いと書いたが、本当に危険なところは誰よりも慎重にいくのも大切。雨や降雪で条件が悪い時などが典型。
あの人が失敗するなら仕方ない、というレベルになるまで経験を重ねるのが真のエースの証。
もちろん若いころに何回か手痛い失敗もしている。スタックは序の口、横転一回に堤防から半分落ちたり。
横転した時は携帯電話もない時代で2時間原野を歩いて助けを呼びに行った。
撃墜されて運よく生き残った新人パイロットみたいなもん。
空の戦いでは、新人パイロットばかりが毎回落とされてベテランパイロットばかりが生き残っていった。重ねるごとに、ますますベテランの生き残り術は上がり淘汰もされ、補充される新人は消耗戦でどんどん腕が落ちて行き死亡率が上がる。
ベテランパイロットは言う。
何があっても俺を離れるな。逸れたらお終いだ。
新人は必死に食らいついて行き運よく何回か戦いを潜り抜けると次第に回りが見えてくるようになる。つまり自分が何をしているかが分かってくる。
それがリスクコントロール。
自分自身でリスクコントロ―ルできないものは、もとより運転する資格はない。
敵が優勢だと感じたら、基地へ帰ることにしている。もっとマシな日のために
エーリッヒ・ハルトマン
*1:スリップしやすい路面や跳ねているとABSがあっけなく作動する